マンチェスターにある「ストロベリースタジオ」で2人の青年が出会う。その時そこでプレイしていたゲイリー・バーロウとスタジオのお雑用係だったマーク・オーウェン。同世代だったということもあり、意気投合した2人は、キューティストラッシュというバンドと組みました。一方ハワード・ドナルドとジェイソン・オレンジもストリートビートというダンスチームで活躍してました。マネージャーのナイジェルに2つのグループがお互いに相談してたところ、2つのグループを合体させる方向に持っていくことに。そして当時アメリカで莫大な人気を博していたアイドルグループ「ニューキッズ・オン・ザ・ブロック」にあやかり、メンバーを5人に増やす為にオーディションを開催。オーディションに選ばれたのはロビー・ウィリアムスでした。(…オーディションはロビーしか居なかったという声も!)マドンナの写真集からヒントを得て「テイク・ザット」という名で結成しました。初めはグループ名は「TAKETHAT&PARTY」だったとか…。



テイク・ザットはデビューしたのですが、当時は歌って踊れるボーイズグループなんて今の様に売れるという保証も無く、難しいものでした。また、大人気だったボーイズバンド、ニュー・キッズ・オン・ザ・ブロックとよく比較されてます。しかしなんとかデビュー曲「Do what you like」は100位以内に入りインディーレーベルから大手のRCAとメジャー契約まで至るまでになりました。しかしメジャーデビューしてもすぐに売れる事無く、地道に営業を続けるテイク・ザット。
ある時は海辺で野外ライブ、ある時はゲイクラブ。一日何回もステージに上がるという過酷なツアーも回りました。そして着々と売れ始めているのでした。メジャーから通算3枚目のシングル「It only takes a minute」が初のトップ10入り。その年にはカバー曲の「Could it be magic」が賞を受賞するまでに。



そして8thシングル「PRAY」で初のヒットチャート1位を獲得(そこからデイク・ザットはシングルはチャート1位ラッシュとなる)。今まで注目されていた曲はカバー曲ばかりでした。しかし「PRAY」はゲイリーの楽曲です。
歌唱力、楽曲のセンスとともに、テイク・ザット自体の実力も認められていくのでした。イギリスのトップアイドルとなったテイク・ザット。アルバムからシングルが連続で1位に輝いたことでギネスブックにも載ったのです。アルバム「NOBODY ELSE」が発売。もちろん1位。大ヒット。日本でもラジオで沢山かかっていたと思います。



順調だった、そんなある時ロビーがイギリスのオアシスのステージに泥酔したロビーが乱入という事件が。それをきっかけにロビーが脱退をする事になったのでした。せめてツアーが終わるまでテイクザットを続けたかったロビー。テイクザットをやりたくないロビーを判りながら活動するのは嫌だとロビーに即脱退を願うメンバー…。せつないです。その後も何かにつけてロビーとゲイリーは対立するようになるのでした。



ロビー脱退後も4人でテイクザットは活躍することを決意します。
シングル「Back for good」を、アメリカマーケットに狙って新たなプロモーションを展開。その結果、ビルボードチャートでトップ10に入る快挙をなし遂げました!アメリカの成功。…これから4人で再出発していこうとした時、96年2月13日(皮肉にもロビーの誕生日!)に解散記者発表をしたのでした。この日は新曲の発表会だった予定が、解散することがマスコミに漏れたため早めに解散発表をすることに。
そして4月に完全にテイクザットというグループは無くなったのでした…。




解散してからはソロ活動に入るメンバーたちです。ゲイリーは映画のタイアップも取れたシングルを収めたソロデビューシングルが好調です。また、マークもソロ活動へ。アルバムを1枚発表しましたが、興業不振により、レーベル解雇ともなりました。。。グループではあれだけ注目されていたメンバーたちもソロ活動となると興業が芳しくない。屈辱を味わうことになるのです。トップに登り詰めたスターの地位が転落するのもそう遅くはありませんでした。ソロデビューで勢いづいたかと思われたゲイリーでさえも、セカンドアルバムを発売したあたりで、結果興業に結びかなかったのです。

その時、彼たちの地元・英国でひとりのスターが伝説を築き上げていました。数々のスキャンダルを始め、動員数がハンパないライブをやったり、レコード会社と多額の契約金が交わされたとニュースにまで。。。そのひとこそが、テイク・ザットを脱退したロビーでした! ロビーは脱退後、自分を取り戻したかのように音楽活動に意欲的になり、自由で人々の心を揺さぶるような、テイク・ザットとは違った魅力で全英を魅了し、スーパーエンターティナーとなりました。
その頃、ゲイリーは表舞台から遠ざかり、才能を生かしプロデューサー業中心に活躍するようになりました。またハワードは昔からの夢であった「DJ」となり、皿を回しながらダンスフロアでビートを効かせまくりでした☆
かねてから演劇に興味のあったジェイソンは、ある映画に出演したり(ちょい駄作ですがwww)、演技の勉強をするためにアメリカに行ったりしていたようです。また環境問題にも興味のあった彼らしく大学に行ったりして、ショービズ界から遠ざかっていました。
契約を解雇されたマークも数年、メディアの露出は控え、曲作りなどしていたようです。ある時、BBCの「セレブリティ ビッグブラザー」という番組(一つ屋根の下でタレントなどが一緒に住み、テレビで人気投票を行い、人気あるモノだけが生き残っていくというリアリティ番組)に出演し、見事優勝し(最後まで生き残って)話題に。その番組出演した翌年に2枚目となるアルバムをリリースし、やっと表舞台に戻ってきたのでした。その時、親友のロビーとも競演しています。。。(とても感動的でしたwww 一緒にロビーのライブで「BACK FOR GOOD」を熱唱していました)

解散してから数年間、彼たちは自分たちの時間を取り戻したような感じがしました。華やかなスター時代、そして屈辱と挫折を味わい、考える時間が増えた中で何が大切なのか、何が一番自分のためなのか?を求め、ゆっくり時間が過ぎていきました。



今までも何度も何年もかけて「再結成するのでは?」という噂は飛び交っていました。ニュースで取り上げられてガセだった時はがっかり……。最後の方はそういうニュースが来ても、スルーでした。しかし、テイク・ザットが解散してから10年が経とうとする2005年、奇跡が起きました。2005年、マネージャー・ナイジェルの発案の元「テイク・ザット」のベストアルバムが発売されました。(レコード会社が何かにつけてベストを節目ごとに出すヤツ;; 曲の著作権の関係でわざわざ出すのです…)
そのベストの影響もあってか、10周年を記念してドキュメンタリー番組を作ることになりました。その時、メンバー4人が集結したのです。また、あんなにテイク・ザットに避けていたロビーでさえもドキュメンタリーの制作には携わってくれたのです。(あやふやに脱退したからファンへの謝罪も込めてちゃんと話しておきたかったとロビー談)
ドキュメンタリーおかげで集結した4人はひとつあることを考えたのです。お酒の席での話です。マークが突然こう言いました。……みんなでライブツアーをしないかーーー。それは酔った勢いもあっての発言でした。冗談と本気が交差するなか、本気になったメンバーたちはファンへの感謝の気持ちを込め、再結成をし、ライブツアーが本格的に動き始めました。そして、「懐かしい!」と飛びつくファンでチケットが殺到、即完売となったのは言うまでもありません。ライブは無事成功を収めました!
そして次に浮上してくるのが「10年ぶりのニューアルバム」というところです。新譜が聴きたいファンのためにも再結成したのだから……とレコーディングに入りました。レコード契約などもいろいろありましたが、ユニバーサルに落ち着きまして、新譜リリースの運びとなりました。それが2006年11月にリリースされた「ビューティフル・ワールド」です。アルバムが発売されるやいなや、チャートの上位に常にいる状態に。また翌年の2007年にかけてもセールスを伸ばし、見事「完全復活」を華麗に遂げたのです!!!再結成すると当時と比較されたりするものです。しかし人気もセールスも当時よりすごいのでは!と各メディアが絶賛するものとなりました。


彼たちの彼たちの「第2章」は始まったばかりです。



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